yamagatatakashi’s blog

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馬鹿と鋏は使いよう

 
何故かハサミを買った、なんでだっけ?(笑)
 
今店頭で人気(というかメーカー押しなのか?)のハサミは、使い道と使う人からの入力を狭く限定したときに不器用な人でも器用な人と同等の能力を発揮できる作りのようで、
今回買ったハサミとは、そうじゃない入力を使い分けられる人にとっては大変ありがたい、逆に言うとわからない人には何のことだか全くわかりっこない 
【本来のハサミ】
みたいな物らしい(刃がまっすぐなだけなんだけど)。
 
そしてそのハサミで紙を切っているうちに、ハサミって実は奥が深い道具なんじゃないかと自ら思い始め、ふと頭に浮かんだのが表題のことわざ。
 
この場合の馬鹿とは、本当に脳に障害がある人のことを指すものではない。昭和で言うところの「使えね~ヤツ」みたいなニュアンスだと思っている。今だと、「悪く言うために使われる『ゆとり』という言葉」(ゆとり世代全般を指すわけではないという意、←メンドクセ)が広い意味で当てはまるかもしれない。
 
FBで絡んでくれてる、ハサミ好きな人達の発言を見ていると、どうもハサミという物は使い手によって性能が変わると言うか、知らなければそんな使い方求めるわけもない領域がある様子。
同じ一つのハサミにも関わらず、使い手によってその使い道や、能力にまでも大きな違いが表れる。
要は使う側次第で全てが変わるという事実。
 
だから結びついた言葉 【馬鹿と鋏は使いよう】 
 
ハサミ一つ、使い手次第で燃えないゴミの日に捨てたり、買い取り屋に持っていく鉄くずにまで落とす事も出来れば、切り絵という芸術作品を生み出す道具にまでも昇華させることが出来る。
 
【そう 馬鹿だってオマエ次第で生まれ変われるんだぜ】
 
と、要はこのことわざは、使い手側に、会社で言えば上司や教育担当に、学校で言えば教師や先輩に、そんなオマエらに向けられたありがたい言葉だったわけだ。
 
【ハサミも人も、誰と出会ったかが重要】
 
言い換えればそんとこかな。
 
今まで気にも留めてなかったことわざ、その意味を、今日悟りました。昔の人は良い事言うねぇ。
 
人事担当とかの人よ。オマエ、ハサミ使える?